笠砂の御前 3


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1  茶臼山(伊那佐山=宇迦能山=大神山)には大国主がいた。茶臼山(伊那佐山=宇迦能山=大神山)の西には三輪山があり、三輪山には天忍穂耳がいた。笠砂の御前の左下が葦原中津国であり、瓊々杵命が日当たりの良さを言ってから「日向」と呼ばれるようになった。日向の御子とは、瓊々杵命のことであり、日向の御子の父とは天忍穂耳のことである。三輪神社の祭神の大物主とは日向の御子の父である天忍穂耳のことである。北栄町下神の三輪山の位置なら葦原中津国の様子がよくわかり、大国主とも協力して国造りが出来た。松神には猿田彦と木花之佐久夜毘売がいた。

2  天孫族は長瀬高浜に巫女を置き航海の安全や天神川の氾濫が無いように祈願させていた。国譲り後、大国主のために高い建物をここに建てた。

3  笠砂の御前の右下は瓊々杵命以降何度も洪水にみまわれており、土砂がかなり堆積し高くなっている。瓊々杵命の時代はこの辺りも海であったと思われる。
 笠砂の御前の笠の柄(中洲)は茶臼山(伊那佐山=宇迦能山=大神山)から下の土下山(天の香具山=鳥見の白庭山)までつづく天の橋立のような砂浜の長い柄(中洲)であった。長髄彦は中洲の豪雄と呼ばれていた(先代旧事本紀)。

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