「クシフルタケ」とは本来「クシフルネ」であって、亀谷丘陵全体をさす言葉であり、先端は船着場になってい


 「クシフルタケ」とは本来「クシフルネ」であって、亀谷丘陵全体をさす言葉であり、先端は船着場になっていた。亀谷丘陵の横には由良川が流れている。
 クシフルとはアイヌ語で、川などの向こうをクシと言い、丘をフルというから、向こう(クシ)・丘(フル)である。問題は古事記に書かれている、クシフルタケのほうだ。久土布流多気とあるが、これは明らかに当て字。日本超古代地名解でタケに岳ではなく峯と当てているのは、何か根拠があるに違いない。ネがミネになり、それがタケになったのはどういうプロセスがあったのだろうか?ネが縄文や弥生時代の言葉だとしたら、タケは奈良・飛鳥時代の言葉だということだろう。一般的に、日本の古語は、西日本が後から入ってきた百済語、東日本が古くからある新羅語だという。となると、タケは後から入ってきた百済語ということだろうか。
※ 波波伎神社の由緒
 神社明細帳には、「事代主大神、国譲りの後、己も天の使いの旨を諾け給い、国向けの代と、天夷鳥命の御子・国夷鳥命に手組ましめ、一ツ木の神玖四浮根に座しし船足を、此の青柴の巻籬内にと蹈み方向けしめ来まして宣わく、吾心すがすがし幾世福庭曾此の青柴の弥栄に栄えゆく如く、皇孫命の大御代は栄え大坐ませ、己命の神魂は皇孫命の近つ護の神とならむ、天栄手を青柴籬(まがき)に拍誓て御隠坐しし天栄手の宮なり」とある(式内社調査報告・1983)。
 一ツ木の神玖四浮根(神のクシフルネ)とは亀谷丘陵のことであり、先端が葦原中津国の港になっており、事代主はそこに船を停めていた。何回もの書き換えの時に「船足」に惑わされクシフネとなったと思われる。瓊々杵命もクシフルネ(クシフルタケ)の山側に御所を造った。
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 亀谷丘陵を上から見たものです。先端の◇形あたりに事代主は住んでおり、国譲り後は木花之佐久夜毘売が住んでいた。この◇形あたりは正確に北口本宮冨士浅間神社と同じ緯度である。この丘陵の山側に瓊々杵命がいた大宮神社がある。この丘陵全体をクシフルタケ(クシフルネ)と言っていた。
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 亀谷丘陵の◇形(事代主は尾崎に祀られていた)より島(右側)と入江の入口(左側遠方)を望む。海抜4mのラインがすぐ前まで来ている。中が津になっていて、天然の良港があった。現在、葦原中津国であったところは全面稲作地帯である。

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