田植えがすんだ葦原中津国


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 田植えのすんだ葦原中津国
 由良川の周辺に生えているのは葦。右上は大山(蓬莱山)と烏ヶ山(方丈山)。左側に瀛州山の上蒜山、中蒜山、下蒜山。東に中国山脈が連なる。稗田阿礼はこれを見て高千穂と表現した。7世紀のことである。
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 田植えのすんだ葦原中津国
 左上に見えるのが火火出見命が宮とし神武天皇の四兄弟が住んでいた四王寺山。右の島茶屋あたりは大雨が降れば大きな池となり、県道は通行禁止になることがあった。現在は由良川の改修工事が瀬戸まで進み水はけがよくなったようである。
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 穂波あたりから葦原中津国を望む。
 正面が島のカントリーエレベーター。左奥が津原。右奥が亀谷。
稲作をするには絶好の場所である。
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 由良川周辺には葦が残っている。
 この地(鳥取県北栄町)は地形的に葦原中津国であったところである。このような地形は全国の海岸沿いにいくらでも候補が上がると思う。しかし、天孫族は葦原中津国を目標に降りてきたのであり、そして葦原中津国を平定したのである。その平定した状態が残るのがこの地である。亀谷丘陵の山側には瓊々杵命が御所を建て、亀谷丘陵の先端には木花之佐久夜毘売がおり、穂波には天児屋根がいた。西の琴浦町の大杉、倉坂、上伊勢にもそれぞれ家来が祭神として祀られている。笠沙之御崎(北条砂丘)も前に確認できる。古事記に記されている葦原中津国とは、この地のことを言う。しかし千三百年の間、葦原中津国は特定できなかったのであり、中国地方や日本列島全体や、高天原(天上界)・葦原中津国(地上界)・黄泉の国(地下世界)というような使われ方をしてきた。長年使ってきた概念は早々変更できないものであるが、小さい特定の地域であることが解かりました。
 すべての条件を満たしているこの地が古事記に言う葦原中津国であることに間違いはありません。

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