神功皇后の民間伝承のもとは豊鋤入姫命(台与)の伝承であった

 河村哲夫氏は「神功皇后の謎を解く」(原書房 2013年出版)において「神功皇后を祭る神社に加え、伝承が由来になった地名、腰掛けたと伝わる石などを含めると山口、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎6県に3千ヵ所もあった」とする。

1  神功皇后実在説の根拠
(1)民衆 名もない民人たちが、伝承という形で脈々と地域の歴史を伝えてきた。
(2)大和朝廷に押しつけられた虚構の話を地元の伝承として残した、というような伝承は一件もない。まさに、神功皇后そのものの伝承として地域に伝えられている。
(3)地域の人々が『日本書紀』『古事記』を読んで、それに合致するような伝承を捏造したというような説は成り立たつはずもない。『日本書紀』『古事記』が一般民衆のレベルまで流布してはいなかったからである。
(4)広域的な通信手段を持たない古代人が、壱岐・対馬を含む北部九州の広い範囲で相互に連絡を取り合って神功皇后伝承を創作することは不可能である。

2  神功皇后非実在説の根拠
 「日本書紀」によると、神功皇后は3世紀の古墳時代にいた人物、となっている。しかし、3世紀というのは日本では弥生時代である。まだ百済国はできていない。また、神功皇后の、行動について、あまりにも、超人的な行動や、神がかり的な行動がたくさんある。たとえば、三韓征伐のときに、懐妊していたので鎮懐石を腰にはさんで出征し、帰国してから出産(産み月を延ばした)し、15ヶ月も妊娠していたという話しや、遠征のときに、魚の助けによって船を進めたが、勢い余って波とともに、新羅の国の半ばまで押し上がり、驚いた新羅王が降伏したとか、という話しなどである。まるで、おとぎ話の世界にいるような話しがたくさん残っている。また、伝承でもあとで作られたことを示す史料もある。

3  壱岐と対馬の伝承
 壱岐に13ヶ所  
「風本→勝本」「東風石」「聖母宮」「馬蹄石」「印通寺」「錦浜」「衣かけ石」「七湊」「夕部」「御掛けの石」「御手洗川」「柄杓江」「湯ノ本温泉」など
 対馬に15ヶ所
「腰掛石」「神住居神社」「雷神社」「雷浦」「与良祖神社」「桜橋公園(志良石)」「笠渕・截裳渕」「砥石渕」「阿須浦・阿須神社」「綱掛崎」「八点島」「千尋藻・入彦神社」「櫛」「胡禄神社」「本宮神社」など 
※ここにある伝承地でもあとで藤原氏(八幡神社)によって造られたと思われる伝承がある。

4 私見
(1) 河村哲夫氏は「大和朝廷に押しつけられた虚構の話を地元の伝承として残した、というような伝承は一件もない。まさに、神功皇后そのものの伝承として地域に伝えられている」とされる。
 鳥取県湯梨浜町宮内集落の倭文神社は伯耆国一宮で昨年は中央から雅楽の演奏に来ていた。また平安後期(1100年頃)に埋納された国宝の経筒(伯耆一宮経塚から銅経筒、金銅仏、銅鏡、檜扇、短刀、刀子、玉類、銅銭、漆器などが出土した)も発掘されている。京都の藤原氏はこの神社を重要視していた。伝承では「高姫(下照姫)が国譲りで出雲からこちらに来て、助産婦の仕事をしていた。」高姫(下照姫)に仕えた者たちの子孫も数軒あるという。高姫(下照姫)が涙ぐんでいた様子まで伝承されている。
 伯耆国に宮内は3ヶ所しかない。2ヶ所の神社は孝霊天皇を祀った神社である。では残る1ヶ所の倭文神社も孝霊天皇を祀っていたのではないか。また、宮内遺跡からは弥生時代後期の日本で一番長い鉄刀が発掘されている。
 湯梨浜町宮内に行って聞いてみると、「倭文神社には高姫(下照姫)がいた。伝承も残っている。宮内に遺跡などない。きっと、橋津に古墳があるからそこのことだろう。橋津にいってみたら。」という返事が返ってきた。あくまでも「調べるな」といった口調であった。また、倉吉市大谷の長老に聞いた時もあくまでも「四王寺があるから四王寺山という」の一点張りであった。
 河村哲夫氏はここで「はい、そうですか」と引いてしまっている。三千ヶ所の伝承の中に大和(藤原)朝廷に押しつけられた虚構の話を地元の伝承として残した、というような伝承は一件もない」としておられるが、藤原氏は伝承を創設する名人である。
 倉吉市寺谷に天稚比古と住んでいた高姫(下照姫)は天稚比古が亡くなってから夫の出身地の高天原(蒜山)に近い倉吉市志津の倭文神社で助産婦の仕事をしていた。藤原氏は志津の伝承を宮内に移し、孝霊天皇一族の伝承を隠した。
クリップボード37.jpg
 藤原氏は創作伝承を守るための人員を京都から派遣し重要な集落の住民として古くより(統一新羅滅亡の931年頃より)住まわせている。百済出身の京都の藤原氏は新羅を恐れていた。京都で検非違使をしていた山田氏は931年に北条山田八幡神社を鳥取県北栄町北尾に創建した。「北条」の地名は北の京(条里制)と付けたかったのだろうが、北京とはできなかった。「北条」という地名も山田氏が付けたと思われる。
 高姫(下照姫)を登場させて八橋の地名由来を創作して笠縫邑を隠したのも京都の藤原氏であった。鳥取県南部町手間山の赤猪伝説も倭国大乱の激戦地の手間山の伝承を隠すために藤原氏によって創作された。手間山には妻木晩田から逃げてきた出雲族(兄の八十神)がおり、手間山のふもとには、孝霊天皇や倭建命に従っていた大国主の14世孫の武牟口命がいた。
(2) 神武天皇に関係する伝承に「神武天皇が生まれた狭野神社・15歳で宮を遷した宮崎神宮・神武天皇が祈願した都農神社・矢研の滝・立磐神社の腰掛岩・美美津港のおきよ祭り・早吸日女神社」などがある。「速吸の門」は明石の多くの弥生遺跡より間違いなく明石海峡である。したがって、「速吸の門」は豊予海峡ではなく、豊予海峡までは藤原氏の作り話であった。神武天皇の腰掛岩も創作である。神功皇后の腰掛岩も創作である。 河村哲夫氏は「大和朝廷に押しつけられた虚構の話を地元の伝承として残した、というような伝承は一件もない」としておられるが、騙されているだけである。私は騙されない。神社庁に輪をかけたように教育委員会が加担しているのでたちが悪い。明治政府は藤原政府から始まっているから、神社庁も教育委員会も藤原氏の流れにある。
7下照姫の伝承-2 (3).jpg
(3) 倭姫命や倭建命や豊鋤入姫命や武内宿禰は実在していた。原古事記には彼らの旧事も書いてあった。対馬海流があるため倭(鳥取県中部)朝廷にとって九州は中国に朝貢するために通らなければならない大事な場所であった。それは神武天皇の時代から同じであった。豊鋤入姫命(台与)と武内宿禰も九州の平定をしている。また、稚日女命を祀る神社が九州の各地にあるので、倭姫命や倭建命も九州に来ている。熊襲を平定して伊万里から船を出している。佐賀県伊万里市黒川町の若宮神社(祭神 若日孁尊=稚日女命)の由緒に神功皇后が出てくるので、豊鋤入姫命(台与)が三韓に向けて出発したのも伊万里からと思われる。奈良時代になっても豊鋤入姫命(台与)と武内宿禰や倭姫命と倭建命の伝承は残っていた。
 神功皇后は百済色が濃厚である。おそらく、百済が新羅を攻撃した百済の伝承を原古事記にあった豊鋤入姫命(台与)と武内宿禰が三韓に行った旧事を改ざんして創作したのが神功皇后と思われる。倭国(鳥取県中部)の女王の豊鋤入姫命(台与)が建国以来、兄弟国であった新羅を攻撃するわけがない。
(4) 百済王朝(藤原氏)にとって応神天皇(葛城長江襲津彦)は特別な存在であった。百済が最初に倭国に朝貢したときの天皇であったからである。不比等は特別な存在の応神天皇を祭神とする八幡神社を創建することにした。不比等は女王であった豊鋤入姫(台与)や倭国13代大王であった武内宿禰を応神天皇に関係する神として八幡神社の祭神にした。
 太安万侶は原古事記を天武天皇の皇子の穂積大王に渡したつもりであったが、不比等に渡ってしまった。不比等は原古事記に記載されていた女王の豊鋤入姫(台与)の段を百済色の濃い神功皇后の段に書き換えた。13代武内宿禰大王の代わりに成務天皇を創作した。14代には応神天皇の父親として仲哀天皇を創作した。本来14代であった仁徳天皇は16代とした。特別な存在の応神天皇の15代は動かすことをしなかった。応神天皇の在位は354年~394年と思われる。13代の武内宿禰大王と15代の応神天皇(葛城長江襲津彦)は八幡神社や古事記・日本書紀に利用されているが、倭国(鳥取県中部)に皇居のあった正統な天皇であった。豊鋤入姫命(台与)の本拠地も鳥取県中部(倉吉市鋤集落)にあった。            
(5)  原古事記には、倭姫命(卑弥呼)や豊鋤入姫命(台与)の段があった。倭姫命(卑弥呼)や豊鋤入姫命(台与)の民間伝承も多くあった。不比等は原古事記の記述や伝承を消したり改ざんしていったが、倭姫命(卑弥呼)や豊鋤入姫命(台与)の伝承は広範に渡り、すべてを消したり改ざんすることは不可能であった。そのために八幡神社を造った。神社に住民を集めて、倭姫命(卑弥呼)や豊鋤入姫命(台与)の伝承を聞き「その姫の名は神功皇后である」と暗示にかけていった。倭姫命(卑弥呼)の伝承も神功皇后に吸収させた。そして八幡神社の祭神を神功皇后とし、古事記・日本書紀に新羅に敵対する神功皇后の段を作った。八幡神社は全国に4万4千社あるという。八幡神社以外の神社よりも多い。
 倭王朝と亡命百済王朝とは642年より列島に並立し、734年に亡命百済王朝(日本)が倭国を呑み込むが、それ以前から呑み込む準備をしていた。亡命百済王朝はそれまでに崇神天皇や倭姫命(卑弥呼)によって造られていた全国の神社を呑み込んで、自分たちの神社ネットワークを新たに創っていった。それが八幡神社である。

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