テーマ:素戔嗚命

須勢理姫(宇迦之御魂命)は宇迦能山の兄(大国主)と東山神社の父(素戔嗚)との間を行き来していた

1  鳥取県中部の宇迦之御魂命を祀る神社(鳥取県神社誌より)  鳥取県中部の宇迦之御魂命を祀る神社はこれが総てである。右側の神社を線でつないでみる。  舩内神社の祭神は素戔嗚も含むがこれは中江神社からの大正合併によるものであるから、宇迦之御魂命は素戔嗚と一緒ではなかった。小田神社、田内神社、村上神社、勝宿祢神社も一人であ…
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伊邪那岐命・伊邪那美命は倉吉市の新宮神社、素戔嗚命は倉吉市の清熊稲荷神社と東山神社にいた

1  倉吉市の松ヶ坪遺跡から縄文晩期と弥生前期の遺物が出土した。  松ヶ坪遺跡は左のビルのあたり、大御堂廃寺のすぐ南。  琴浦町の中尾第一遺跡で縄文時代晩期終末期と弥生時代前期の遺物が発掘された。中尾集落は天太玉命と和久産巣日神が降臨した最初の場所である。縄文時代晩期終末期の遺物は縄文人である猿田彦一族が使っていたもので…
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根国での冒険の舞台は鳥取県倉吉市余戸谷町の清熊稲荷神社であった

 根国での冒険の舞台は鳥取県倉吉市余戸谷町の谷田神社である、としていたが、谷田神社の痕跡が見つからない。鳥取県神社誌(昭和9年発行)には載っているので、合併(大正時代)までは存在していたはずである。山の周りを廻っても見つからないので、八幡神社の宮司に聞いたところ「 清熊稲荷神社の登り口の5~6軒家があるあたりではないか」という。…
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根堅洲国(黄泉国)は倉吉市中心市街地にあった 2

 川のかたちは木の根に似ている。 1  古事記・根国での冒険  「大国主は須勢理姫を背中に負い逃げ出した。素戔嗚が髪をいちいちほどいている間に、二人はいっそう遠くへ、遠くへとのがれて行った。素戔嗚は風のようにあとを追って、ようやく黄泉比良坂まで達したが、そこはもう根国の境である。そこで大声で『・・・・・ここな奴め!』といった」と…
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根堅洲国(黄泉国)とは倉吉市中心市街地であった 1

1  古事記に言う「海原」とは、昔海であったが、その時(紀元前200年ごろ海抜4m)は原になっていたところのことを言う。倉吉市住吉神社の由緒に「このあたり一帯入江であった」とする。その状態になるのは海抜20mのときである。  伊邪那岐は素戔嗚に海原を治めよといった。伊邪那岐・伊邪那美は蒜山高原(瀛州)より海原(倉吉市駄経寺)に…
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根堅洲国(黄泉国)は鳥取県倉吉市中心市街地であった

 古事記には素戔嗚が根堅州国に住んでいることが書かれています。  少し高いところから眺めると木の根が走っているように川が流れていたのだと思います。  根堅州国は「堅」の字が入っていますから、川の間にできた堅くなったところと思われる。  倉吉周辺の川です。まるで木の根のようです。中国地方の川の中で一番木の根に似ているのは鳥取県の…
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宇迦之御魂命(須勢理姫)を祀る鳥取県の神社38社(合併前の神社も含む)

1  因幡国(鳥取県東部)22社(合併前の神社も含む) 小羽尾神社 岩美郡東村小羽尾 多居乃上神社(須勢理姫) 岩美郡宇部村 大平神社 岩美郡津ノ井村 虫井神社(以下の2社を合併) 八頭郡山形村大呂 芦津神社 八頭郡山形村芦津河原 八河神社 八頭郡山形村八河谷字宮ノ下 岩神神社 八頭郡富沢村岩神 三輪神社…
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天穂日は素戔嗚と稲田姫の御殿を守るため鳥取県の旧八頭郡にいた

1  天穂日を祀る旧八頭郡の神社(合併前の神社も含む) ※日下部上神社   八頭郡安部村大字日下部字宮ノ谷(祭神 天穂日命、明治元年合祀ー倉稲魂命、保食神) ※隼神社  八頭郡隼村大字見槻中字宮ノ本(祭神25神) ※土師神社 八頭郡賀茂村大字稲荷字川向(祭神 天穂日命) …
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古事記・「八雲立つの条」は改ざんされている

  1 古事記・「八雲立つの条」  「素戔嗚命は・・・宮殿を建てるべき土地を、出雲の国の中に探し求めた。訪ね歩いて、須賀という土地に至った時に、私の心はすがすがしいと感慨を洩らした・・・須賀と言う」とある。「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作 その八重垣を」と歌を詠んだ。足名椎命を宮殿の首長となした。  次に素戔嗚命の系譜が…
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八俣大蛇伝説は鳥取県中部が舞台であった

1 素戔嗚命は徐福一行(紀元前210年の第2次)のメンバーであり、徐福に次ぐリーダーであった。素戔嗚命も徐福(天照大御神)と船で辰韓(のちの新羅)より伯州(伯耆国)に到着した。徐福一行は通り過ぎた出雲国に引き返すのではなく、鳥取県中部の小さな湾に到着し、仙人(伊邪那岐命)に再会した。伊邪那岐命は三貴神にそれぞれ治める場所を指示し…
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草薙剣(八俣大蛇が持っていた)を模して作られたと思われる稲荷山古墳出土の鉄剣と秦兵馬俑一号坑出土の青

草薙剣(八俣大蛇が持っていた)を模して作られたと思われる稲荷山古墳出土の鉄剣と秦兵馬俑一号坑出土の青銅剣 1  稲荷山古墳 鉄剣 レプリカ  稲荷山古墳出土の鉄剣は八俣大蛇が持っていた草薙剣を模して作ったものと思われる。製作は471年という説がある。 2  兵馬俑博物館  秦兵馬俑一号坑出土 秦青銅剣 クロームメ…
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八岐大蛇は第1次の徐福一行(紀元前219年)を追いかけてきた始皇帝の家来たちであった

  1 八俣大蛇は八俣だから九頭竜のことであり、九頭竜なら中国にも伝説として存在する。しかし、素戔嗚と話ができて、酒を飲んでくれるような関係である。八俣大蛇とされていたのは、素戔嗚と同じ秦語を話し、始皇帝の剣を持っていた第一次の徐福(紀元前219年)を追ってきていた始皇帝の家来と思われる。彼らも伯耆国に到着し、東郷池から波関峠(忍坂)…
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鳥取県三朝町山田が八俣大蛇伝説の舞台であった

1  鳥取県三朝町におけるたたら製鉄について  八俣大蛇伝説はたたら製鉄と関係があるという学説が多いが、製鉄技術さえあれば、古代でも鳥取県三朝町でたたら製鉄が行われていた可能性がある。  三朝町教育委員会が1981(昭和56)年に刊行した『三朝のたたら』によれば、町内には204ものたたら遺跡があった。  鉄を含む地層は中国山地一円…
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