テーマ:欠史八代

倭建命の白鳥陵は鳥取県湯梨浜町宮内の狐塚古墳であった

 倭建命の白鳥陵は鳥取県湯梨浜町宮内の狐塚古墳であった。 1 東郷池にはコブ白鳥(朝鮮半島からの渡り)がいた。 エサをくれると思ったのか、寄ってきた。向うは望湖楼と千年亭。  子育て中の東郷池のコブ白鳥(養生館の横で)。 2 鳥取県湯梨浜町宮内の狐塚古墳(前方部が池側を向いている) この前方後円墳は「前期古墳時代の特徴的な外形を示し…
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山陰型甑形土器は倭国乱の時にヤマト朝廷(孝霊天皇の一族)が使っていた

 山陰型甑形土器は愛媛県でも発掘されているが、このことは 楽楽福神社(鳥取県日野郡日南町宮内)の由緒が事実であったことを証明するものである。 1   楽楽福神社 鳥取県日野郡日南町宮内 由緒(昭和9年鳥取県神社誌より抜粋)  彦狭嶋命は稚武彦命の御兄に坐せとも爰に合祀すべきよしなきが如し。社殿に彦狭嶋命亦歯黒皇子といへる此一名古…
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倭建命は吉備国・伯耆国・出雲国の鬼を平定した孝霊天皇の皇子二人のうち弟の方である

1 日本書紀に「孝元天皇の皇后の欝色謎命は開化天皇の皇后になり、御眞木入日子印惠命と御眞津比賣命を生んだ」とある。兄が亡くなったので、兄の妻を娶り子供が生まれるということは時々聞く。年齢的に出産が可能であるからである。しかし、自分の実の母親を娶り子供を作ることは聞いたことがない。女性の生理年齢的にもあり得ないと思われる。開化天皇は孝…
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倭建命ゆかりの地(鳥取県関金町清水集落)に行ってきました

 倭建命が矢を放った塔王権現は清水集落の奥にあると聞き、出会った人は「この奥1Kmくらいだが道もなく迷ってしまうようなところだから案内できない。清水集落でも知っているものは少ない。戦時中は兵隊がよく拝みにきたものだ。」と言っていた。先ごろの戦争にも利用されたらしい。先に見えるのが清水集落。  橋の向こうの集落が生竹である。この…
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葦原中津国の中心(室秋津島)に行ってきました

1 鳥取県北栄町大島(室秋津島) 東の灘手の数本の指(尾根)の重なりを見て神武天皇は「秋津がトナメしているようだ」と言ったのでこの地を秋津島と名付けた。  大島(旧島)の全体像。伊邪那岐は辰韓から船で来た三貴神をこの地で迎えた。第六代孝安天皇(第八代孝元天皇の祖父)がいた。当時、周辺は海であった。陸地になってからは、全面穀倉地帯…
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倭建命は第9代開化天皇であった

1 11代天皇と12代天皇の問題となる系譜⑴ 垂仁天皇(本拠地は岡山県美咲町大宮神社)皇后(後):日葉酢媛命(丹波道主王の女)大足彦忍代別尊(景行天皇)倭姫命(史実は孝霊天皇皇女であった)妃:迦具夜比売(かぐやひめ)。 - 開化天皇の曾孫(ひまご)。(史実は景行天皇の妃)⑵ 景行天皇(屋主忍男武雄心命)皇居は奈良の纒向日代宮皇后(前):…
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実在した倭建命(第9代開化天皇)

1  倭建命については鳥取県中部に二か所伝承が残っている。  鳥取県倉吉市(旧関金町)に、ヤマトタケルが伯耆と美作国境の矢筈仙の山頂の岩石の上に立ち、「この矢のとどく限り兇徒、悪魔は退散して我が守護の地となれ」と念じ矢を放った場所が塔王権現で、現在は石祠と石塔が残る。また、放った矢は現在の倉吉市生竹まで飛び、その地の荒神が受け止め…
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第7代孝霊天皇の黒田庵戸宮は鳥取県湯梨浜町宮内にあった(2)

1  鳥取県教育文化財団調査報告書 (重要だと思われる部分のみ抜粋) 遺跡名 宮内第1遺跡 宮内第4遺跡 宮内第5遺跡 宮内2・63~65号墳 遺跡所在地  鳥取県東伯郡東郷町宮内字雲山 公開日 :2014-03-13 http://sitereports.nabunken.go.jp/13629 ぜひご覧になってください。…
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第7代孝霊天皇の黒田庵戸宮は鳥取県湯梨浜町宮内にあった(1)

1 日南町宮内(樂樂福神社)も大山町宮内(高杉神社)も孝霊天皇が居たから宮内という地名が付けられたと思われる。鳥取県西部の宮内はこの2か所だけである。孝霊天皇の皇居は師木にあったから、東郷池周辺である。鳥取県中部に宮内は湯梨浜町宮内の1か所だけである。この東郷池の宮内は、土壌情報閲覧システム(農業環境技術研究所)によれば南側は広く黒ぼく…
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第2代綏靖天皇の皇居は鳥取県北栄町曲の岡神社であった

 第2代綏靖天皇の皇居・葛城高丘宮(古事記では葛城高岡宮)は奈良ではなく、鳥取県北栄町曲の岡神社であった。 1 奈良の葛城高丘宮跡  奈良県御所市葛城古道にある第2代綏靖天皇の皇居・葛城高丘宮の石碑である。  ここのテーマパークの名前は藤原氏が占領してから「葛城」と名付けられた。じつは「高岡」が本当であったが「高丘」に…
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二代天皇から九代天皇まで(欠史八代)の皇居の比定地

 奈良では石碑を立てているだけである。  第2代 綏靖天皇 (神沼河耳)    葛城高岡宮 (鳥取県北栄町蜘ヶ家山の岡神社) 神沼河耳は関金町耳で生まれた。葛城という地名は「土蜘蛛を葛木のつるでからんだから」とする。蜘ヶ家山が葛城山と思われる。蜘ヶ家山には岡神社がある。  第3代 安寧天皇 (師木津日子玉手見) …
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第2代~第9代(欠史8代)の天皇は鳥取県中部(倭の都)に実在していた

※ 欠史八代非実在説 1  旧辞的部分を欠く。 2  二代~九代の寿命は異常に長い。 3  諡号がおかしい。 4  すべて父子相続である。 5  物事の順序からして、奈良盆地の一隅にいる豪族が盆地の外へ進出・発展していくためには、その前提として盆地を制圧・平定し、支配下に置いていなければならないはずです。ところが古事記・日…
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