テーマ:邪馬台国・卑弥呼

台与は豊鋤入姫命であり、景行天皇の妹であった

​​台与は豊鋤入姫命であり、景行天皇の妹であった ​​1 魏志倭人伝の卑弥呼と台与と国史における倭姫命と豊鋤入姫命(1) 魏志倭人伝によると「倭国は乱れ、相攻伐すること歴年、乃ち一女子を共立して王と為す。名は卑弥呼という。鬼道に事え能く衆を惑わす」とあり「更に男王を立つ。国中服さず。更に相誅殺し、当時、千余人を殺す。復(また)、卑弥呼…
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神功皇后の民間伝承のもとは豊鋤入姫命(台与)の伝承であった

 河村哲夫氏は「神功皇后の謎を解く」(原書房 2013年出版)において「神功皇后を祭る神社に加え、伝承が由来になった地名、腰掛けたと伝わる石などを含めると山口、福岡、佐賀、長崎、大分、宮崎6県に3千ヵ所もあった」とする。 1  神功皇后実在説の根拠(1)民衆 名もない民人たちが、伝承という形で脈々と地域の歴史を伝えてきた。(2)大和朝…
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倭姫命は「迹々日百襲」を省略された倭迹々日百襲姫命であった

1  讃岐国における倭迹々日百襲姫命の農業開発 香川県の説明板によれば、倭迹々日百襲姫命は土地の人に弥生米をあたえて、水路を開き、日照に苦しむ人々のために雨祈で、雨を降らせ、水源を教え、米作りを助けたといわれている。 倭迹迹日百襲姫命は農業・水の神と伝えられている。香川県は全国有数の雨の少ない県である。そのために溜池が多い。讃岐国でため…
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内藤湖南の「倭姫命説」と笠井新也の「倭迹迹日百襲姫命説」はどちらも正しかった

 内藤湖南の「倭姫命説」と笠井新也の「倭迹迹日百襲姫命説」はどちらも正しかった 1 京都帝大教授の内藤湖南は明治43年にその論文「卑弥呼考」において「卑弥呼は倭姫命であり、台与は豊鋤入姫である」とした。「卑弥呼の宗女といへば、即ち宗室の女子の義なるが、我が国史にては崇神天皇の皇女、豊鍬入姫の豊(トヨ)といへるに近し。国史にては豊鍬入姫…
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九州における卑弥呼・倭建命の軌跡

1  卑弥呼(倭姫命=稚日女命)は伊万里市から新羅に向けて出港した。  まず壱岐に向けて出港した。対馬海流を考慮した出港である。 すぐ向こうは海である。  佐賀県伊万里市黒川町小黒川鎮座  若宮神社  祭神 若日孁尊(稚日女命=卑弥呼)  御由緒  「当神社は神功皇后征韓の砌(みぎり)若日&#…
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卑弥呼の墓は安楽島集落から伊射波神社に行くまでの1.2kmの間にありはしないか

魏志倭人伝によると「卑弥呼の死後は直径100余歩の大きな塚が作られ、奴婢100余人が殉葬された」とある。また、「倭の墓は棺をもってあるも槨なく、土を封じて塚をつくる」とある。箸墓古墳はこれに該当しないのではないかと思われる。    伊射波神社より700mくらい南西にある。  安楽島町から500mくらい北にある。  軽…
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全国と半島に散らばった青銅器文化の一族を平定していった卑弥呼の巡行

1  青銅器文化を持った一族(準王一族=出雲神族)が紀元前2世紀から日本列島各地に勢力を伸ばしていた。彼らは殷や秦の流れをくむ一族であり、情け容赦なく女子供を殺したりした。古事記にいう「荒ぶる神たち」「まつろわぬ者たち」であり鬼と呼ばれることもあった。彼らの進出にストップをかけたのが、神武天皇に始まる天孫族である。倭姫命世紀には南北に巡…
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古事記の倭建命には卑弥呼が同行していた。神功皇后の三韓征伐は豊鋤入姫命(台与)と武内宿禰が三韓に行った記事を改ざん…

​ 古事記の倭建命には卑弥呼が同行していた。神功皇后の三韓征伐は豊鋤入姫命(台与)と武内宿禰が三韓に行った記事を改ざんしたものである。 1  古事記の抜粋 天皇は「西の国に、熊曾建という者が二人いる。彼らを殺せ」と命じた。そこで叔母の倭比賣命に女性の衣裳を借り、叔母の着物を着た。そして都に帰る途上、山の神、川の神、穴戸の神たちをみな平…
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伊勢神宮参拝

 神はいないしいたこともないテーマパークであるとわかっていても、話のついでに行ってみたいのが人情である。 1 伊勢神宮は敷地が広くて神社も立派である。さすがに藤原氏である。なにもなかったところにテーマパークを造っている。宮司だけは沢山いて、遷宮のときには国民から金を巻き上げて、それで撮影は禁止です、とは何事であろう。戦前の不敬罪の精神…
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卑弥呼(夜麻登登母母曽毘売)は七才まで湯梨浜町宮内にいた

1  鳥羽市安楽島町加布良古崎と湯梨浜町宮内とは共通点がある。  どちらも、海あるいは大きな汽水池に面していて、高台になっていることである。目の前の海あるいは池からは海産物やシジミなどの魚介類がとれる。伊射波神社の海抜は80mくらいである。宮内第一遺跡のあたりは50mくらいである。どちらもすぐ下が急な崖になって海あるいは汽水池に面して…
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倭姫が最初に天照大御神を祀った神社は磯部の伊雑宮であり、外宮は月読が祀られていた

 倭姫が最初に天照大神を祀った神社は磯部の伊雑宮であり、外宮は月読が祀られていた。1 ある方の記述を引用させてもらいます(抜粋)。 『伊雑宮旧記』『五十宮伝来秘記見聞集』などによると、伊雑宮こそ天照大神を祀る真の日神の宮であり、外宮は月読を祀る月神の宮、内宮にいたってはニニギ命を祀る星神の宮に過ぎない。徳川時代にここの磯部の信仰こそ、本…
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伊射波神社の祭神は当初稚日女尊だけであった(由緒など引用しています)

 ガイドブックによれば、伊射波神社に祀られているのは、稚日女尊、伊佐波登美命、玉柱屋姫命、狭依姫命という4柱の神様で、伊佐波登美命以外は女神とある。 1  狭依姫命(女神)  宗像三女神の一柱である市杵島比売命の別名である。加布良古崎の前海にあたる長藻瀬という島嶼の神乎多乃御子神社のご祭神として祀られていたが、戦国時代の地震によ…
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「邪馬台国は三重県にあった」を読んでの感想

 旅行中、志摩市にいるときに、「邪馬台国は三重県にあった」直井裕著という本を知り読んでみました。  邪馬台国は三重県にあった理由として以下の理由をあげておられる。青玉は蛍石であり三重県で取れる。真珠もとれる。丹(辰砂)や水銀も取れる。海辺の国でありサメ避けの入れ墨をしている。冬でも野菜が採れる。伊勢市の遺跡は弥生時代後期になって急…
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千田の御池の説明板より

1 「大歳の神前へ真鶴が稲穂をふくみ来て落としたので、倭姫命がその稲の美しいのをご覧になり千田の神池に種つぎされて、その秋は垂穂・八握穂にたれて、はなはだ見事であった。それで日本国中へその種をわかち弘められた。それから米穀が豊かに実った。諸国の神社・八百万の神たちに神酒をつくり、ご供をおそなえられることの始となった。人々の日…
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卑弥呼(夜麻登登母母曽毘売)は七才まで湯梨浜町宮内にいた

1  鳥羽市安楽島町加布良古崎と湯梨浜町宮内とは共通点がある。  どちらも、海あるいは大きな汽水池に面していて、高台になっていることである。目の前の海あるいは池からは海産物やシジミなどの魚介類がとれる。伊射波神社の海抜は80mくらいである。宮内第一遺跡のあたりは50mくらいである。どちらもすぐ下が急な崖になって海あるいは汽水池に面して…
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いざわ神社(安楽島)に行ってきました

  三重県鳥羽市安楽島集落です。伊射波神社に行くにはここから徒歩で岬を1.2km上がって行かなければなりません。  ここを通ってからまた上がってください、と表示がある。前は伊勢湾である。  やっと伊射波神社に到着しました。眼下に伊勢湾が広がる。ここで海抜100mくらいであろうか。  伊射波神社本殿  魏志倭人伝によ…
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三神社の由緒に見る「稚日女命と神功皇后との関係」について

1  神戸の生田神社の由緒 当社にお祀りする稚日女尊は、我国における最高神太陽神と崇められ伊勢神宮内宮にお祀りされる天照大神の和魂あるいは妹神と伝えられ、稚くみずみずしい日の女神様であり、物を生み育て万物の成長を御加護する神様です。神功皇后が海外外征の帰途、紀伊の水門から難波へ向かったところ、海中で船が動かなくなった。そこで務古の水門に…
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「倭姫命世記」は卑弥呼が祭祀場である奈良の纒向から離れた安全な居所を探すための巡行を記した記録であ

 「倭姫命世記」は卑弥呼が祭祀場である奈良の纒向から離れた安全な居所を探すための巡行を記した記録であった。はじめは、纒向から近い宇陀や伊賀も候補地であったが、敵対していた唐古・鍵遺跡(出雲神族である準王一族)などに近すぎて安全ではなく、巡行を続けて最終的な居所は志摩国に定めた。  「倭姫命世記」に記されている伊勢国・伊勢神宮は藤原氏が…
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邪馬台国(女王国)は志摩国であり、倭姫命は卑弥呼である

1  魏志倭人伝の女王国より「以北」21ヶ国 女王國より以北はその戸数・道里は得て略載すべきも、その余の旁國は遠絶で、詳細を得ることができない。 1.斯馬國(志摩国)。2.己百支國。3.伊邪國。4.郡支國。5.彌奴國。6.好古都國。7.不呼國。8.姐奴國。9.対蘇國。10.蘇奴國。11.呼邑國。12.華奴蘇奴國。13.鬼國。14.為吾國…
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魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の都の一番の候補地は志摩国の伊射波神社周辺である

―伊射波神社パンフレットから- 志摩国一宮 伊射波神社 (いさわじんじゃ)   通称 かぶらこさん 〔鎮座地〕  三重県鳥羽市安楽島町字加布良古1020 〔社格〕  旧無格社 志摩国答志郡の式内社・粟嶋坐伊射波神社二座(並大) 〔御祭神〕  稚日女尊(わかひめのみこと)        伊佐波登美尊(いさわとみのみこと)   …
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稚日女尊を祀る神戸の生田神社と志摩国の伊射波神社の由緒

1  日本書紀にある神戸生田神社  201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現れ「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”に居りたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせて欲しい)」との神託があったと日本書紀に…
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倭迹迹日百襲姫(卑弥呼)は鳥取県湯梨浜町出身であり、7歳まで長瀬高浜で巫女になるための訓練を受けてい

倭迹迹日百襲姫(卑弥呼)は鳥取県湯梨浜町出身であり、7歳まで長瀬高浜で巫女になるための訓練を受けていた 1  香川県の水主神社の伝承などによると、倭迹迹日百襲姫(卑弥呼)は香川県に来られた時にはすでに、神意を伺い、まじない、占い、知能の優れたお方であったという。倭迹迹日百襲姫(卑弥呼)が神意を伺い、まじない、占いをすることを覚えた…
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稚日女命はやはり、海部氏勘注系図9世孫の妹の日女命(倭迹迹日百襲姫命)と同神であり、卑弥呼である

 1 卑弥呼は孝霊天皇の皇女の「倭迹迹日百襲媛命またの名を日女命」と言う説が有力であり、調べてみることにしました。 孝霊天皇は鳥取県神社誌の祭神になっており、祀られている神社の分布図を作ってみました。すると、昭和9年の時点で鳥取県は2市7郡でありましたが、出雲国に隣接する2郡(西伯郡と日野郡)に集中していました。卑弥呼が孝霊天皇の皇女の…
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邪馬台国・卑弥呼

1 「共立」というのは、相手国も卑弥呼をよく知っていたということである。卑弥呼の属する国と相手国は旧知の国同士であったと思われる。富氏の口伝によると、「神武から数代の王は我々の反乱を防ぐため出雲王家の娘を妻とした」とする。  卑弥呼の母親(先祖は弟磯城で姓はハエ)は出雲神族の出身であった。母親が同族だから出雲神族も卑弥呼を共立した。倭…
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