テーマ:大国主と出雲族

 天稚比古と高姫(下照姫)は倉吉市寺谷の矢野宮神社に住んでいた

 天稚比古と高姫(下照姫)は倉吉市寺谷の矢野宮神社に住んでいた。 1 灘手神社由緒には「大正5年11月灘手村大字寺谷字西前村社矢野宮神社祭神天稚比古を合併し灘手神社と改称す」とある。鳥取県神社誌のなかで天稚比古を祀る神社は湯梨浜町宮内の倭文神社と倉吉市福庭の波波岐神社と倉吉市寺谷の矢野宮神社である。  倉吉市福庭の波波岐神社…
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鳥取県神社誌に見る天穂日を祀る神社

      1 天穂日を祀る神社(大正合併後の神社) 《鳥取県東部》 中村神社      岩美郡福部村大字中字宮ノ谷 賀茂神社      八頭郡賀茂村大字宮谷字寺坂 大江神社      八頭郡大伊村大字橋本字馬場 都波只知上神社   八頭郡散岐村大字佐貫字林ノ谷 都波奈彌神社    八頭郡散岐村大字和奈見字林ノ内 湯谷…
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出雲国(島根県東部)の首長は誰であったか

 出雲国(島根県東部)の首長は誰であったか。 1 出雲王国王家の子孫という富當雄氏にインタビューした内容(吉田大洋著「謎の出雲帝国」より)  島根県東部には古代出雲王朝があり、その王朝の王はクナトの神であった。久那戸(クナト)大神は伊弉諾・伊弉冉の長男で出雲王朝の始祖である。クナトの大神は富家の遠神祖、真の大国主である。クナトの…
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否砂の小浜と葦原中津国

否砂の小浜と葦原中津国 1 伊那佐の小浜はどこにあったか。  古事記の「伊那佐」とは発音だけであり「いなさ」とは本来の漢字に直せば「否砂」である。  砂ではない浜であるから、周りは砂浜だったということである。そこに岩盤でできた波打ち際があった。天孫降臨が行われたのは紀元前160年頃であったから、今では完全に海抜5mくらいの陸地…
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伯耆国久米郡大神郷

1 大神(みわ)山とは鳥取県北栄町の茶臼山であり、神(みわ)山とは同じく鳥取県北栄町の三輪山であった。  北条八幡神社由緒より「上神郷下神郷は古伯耆国久米郡大神(みわ)郷にして上神郷をカミツミワ、下神郷をシモツミワと称ふ」とある。  和名類聚抄(938年)に記される伯耆国久米郡内の郷に大神(みわ)郷はない。しかし神(みわ)の付く…
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大国主の本拠地は鳥取県北栄町の茶臼山(宇迦能山=伊那佐山=大神山)であった

 大国主の本拠地は鳥取県北栄町の茶臼山(宇迦能山=伊那佐山=大神山)であった 1  鳥取県神社誌より抜粋 鳥取県北栄町の茶臼山のふもとにある国坂神社 祭神 少彦名神 由緒 創立年月不詳、白河天皇承歴四年六月御卜に国阪神の祭を穢せる祟りあるを以て社司に中祓を科せらる(朝野群載)。当社の御祭神に就いて大日本史に土人の説として、大己貴命を祀…
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鳥取県湯梨浜町の出雲山に行ってきました

 出雲山の由来1  出雲山の由来2  下照姫が見た景色。右上が茶臼山  下照姫が見た景色。右上が茶臼山(大神山=伊那佐山=宇迦之山)。  ここから島根県や米子は見えません。宮内からなぜここまで来て見えないもの(現在の出雲)を見ようとするのでしょう。ここから見たいものが見えるから見に来た。父親(大国主)は茶臼山(大…
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葦原中津国(狭義)にいた大国主・大年神・準王一族(出雲神族)の妻子(娶るとは男の本拠地に女を来させる

 葦原中津国(狭義)にいた大国主・大年神・準王一族(出雲神族)の妻子(娶るとは男の本拠地に女を来させることである) 兎の予言したとおり大国主神は八上姫と結ばれ、やっとのことで国作りを完成させることができ、葦原中津国(狭義)を治める神様となりました。 古事記には「大国主の命は葦原中津国(狭義)を中心に治めていた」とある。 1 葦原中津国…
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