テーマ:倭国大乱の原因

青谷上寺地遺跡は倭国大乱そのものであった

 青谷上寺地遺跡は倭国大乱そのものであった。 1.2019年3月2日に鳥取市で「倭人の真実」というシンポジウムが開かれた。  青谷上寺地遺跡で見つかった数十体の殺傷痕のある人骨が亡くなったのは2世紀後半であり、倭国大乱(147年~188年)の時期と一致する、とパネリスト3人の内2人(藤尾慎一郎氏と篠田謙一氏)が認めた。篠田氏…
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吉野ヶ里遺跡は全国に分布する銅剣・銅矛を作る中心地だったのではあるまいか

1  日本書紀・崇神天皇・神宝・において「このとき出雲臣の先祖の出雲振根が神宝を管理していた。しかし筑紫の国に行っていたので会えなかった。・・・出雲振根は筑紫から帰ってきて・・・」とある。吉野ヶ里遺跡のある平野を筑紫平野というので、出雲振根は吉野ヶ里に行っていたと考えられる。吉野ヶ里遺跡の周辺では銅剣・銅矛の鋳型も見つかっている。また銅…
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高杉神社は孝霊天皇や稚日女(卑弥呼)が鳥取県中部を取り返し妻木晩田を攻撃した時の拠点であった

 1 先の大戦で日本は相手を鬼畜米英と呼び、アメリカは日本人を猿(モンキー)と呼んだ。戦争では相手を蔑称で言うのが通例であり、これは古代でも同じであった。ヤマト王権は殷王朝末裔の準王一族(出雲族)を鬼・土蜘蛛・猿・河童と蔑称で呼んだ。 2  鳥取県大山町宮内の高杉神社  参道を奥に行くと鳥居がある。向こうの山が孝霊山であ…
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安来市の佐々布久神社の祭神は孝霊天皇である

1  安来市の佐々布久(ささふく)神社の祭神は大己貴尊(大国主命)とする。  この祭神は改ざんされていると解する。  藤原氏は、713年から733年の間20年で出雲国の大改造をしている。その時に祭神と神社の漢字表記を変えたものと思われる。  藤原氏は、713年に出雲風土記を提出させたときに、出雲に準王一族(出雲神族)の帝国があった…
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鳥取県日南町宮内の樂樂福神社

  鳥取県日南町宮内の樂樂福神社  祭神 若建吉備津彦命、大日本根子彦太瓊命、細姫命、福姫命  由緒 孝霊天皇の皇子、大吉備津彦命と若建吉備津彦命と共に、西道鎮撫の勅命に因って当国に巡行あり、(この西道は七道分割以前の時にて今の山陰山陽に当たると) 此の地に悪鬼占拠して(今に此の地を鬼林山と称ふ)人民を鹵掠せし…
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溝口の鬼の館に行ってきました

1  鬼の館の説明文より  《孝霊天皇は、鬼住山の南の笹苞山に陣を敷いて、鬼の館を見下ろしました。人々が献上した笹巻の団子を三つ並べて鬼をおびき出せば、弟の乙牛蟹が出てきました。大矢口命が矢を射ると見事に命中し、乙牛蟹は死んでしまいました。しかし、兄の大牛蟹は手下を連ねて荒々しく手向かってきてなかなか降参しません。ある夜、天皇…
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孝霊天皇一族について

1 古事記(抜粋)  大倭根子日子賦斗邇命(孝霊天皇)は意富夜麻登玖邇阿礼比売命(倭国香媛)を娶って、夜麻登登母々曾毘売命(倭迹迹日百襲姫命)、日子刺肩別命、比古伊佐勢理毘古命=大吉備津日子命(彦五十狭芹彦命)、倭飛羽矢若屋比売(倭迹迹稚屋姫命)を生んだ。  また、阿礼比売命の妹・蠅伊呂杼(絚某弟)を娶って、日子寤…
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 鳥取県神社誌に見る倭国大乱に関係すると思われる祭神

 鳥取県神社誌に見る倭国大乱に関係すると思われる祭神 1 大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇) 〈鳥取県東部〉  孝霊天皇は因幡国にもいた。但馬に疎開してから11年後、反撃を開始して陣取った場所と思われる。  久多美神社 現住所 鳥取市河原町谷一木947  都波只知(つばいち)上神社 現住所 鳥取県鳥取市河原町佐貫511   …
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倭国は、卑弥呼たちが弥生後期に全国と半島を平定するまで小国であり、鳥取県中部であった

1 青谷上寺地遺跡発掘調査報告書4(2002年) 第5章 青谷上寺地遺跡をめぐる諸問題 第4節 殺傷痕のある人骨をめぐる諸問題 より (1)弥生時代の戦い  次に墓壙内出土の鏃について検討する。すでに述べたとおり、青谷上寺地では銅鏃およびその可能性のあるものが嵌入した人骨が4例あり、全国的にも鏃の嵌入例または墓壙内出土例が多…
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倭国大乱の原因

1 出雲神族の富氏の口伝によると「ホヒ(天穂日)は出雲神族(準王一族)と婚姻関係を結んで、後続部隊の手引きをした。出雲神族(準王一族)の反乱を防ぐため、神武から数代の王は、出雲の王家の娘を妻に迎えた」とある。  出雲には「出雲族(準王一族)の姫を天皇家が殺したから攻撃を始めた」とする伝承がある。これが倭国大乱の原因と思われる。 …
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