テーマ:蘇我氏から倭国滅亡まで

穂積大王の次の大王(在位715年~734年)は鳥取県中部(倭国)にいた

 穂積大王の次の大王(在位715年~734年)は鳥取県中部(倭国)にいた1 元明天皇と元正天皇と山上憶良と聖武天皇について※ 元明天皇(女帝・中継ぎ天皇といわれる・火葬)の在位は707年~715年である。※ 元正天皇(女帝・中継ぎの中継ぎ天皇といわれる・火葬)の在位は715年~724年である。※ 山上憶良は伯耆守に任ぜられ(716年~7…
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野口王墓古墳は八角墳であり、天武天皇の陵墓ではない。キトラ古墳の被葬者は高市大王であり、高松塚古墳の被葬者は忍壁大…

 野口王墓古墳は八角墳であり、天武天皇の陵墓ではない。キトラ古墳の被葬者は高市大王であり、高松塚古墳の被葬者は忍壁大王である。 1 野口王墓古墳は天武天皇の陵墓ではない。天武天皇は倭国王であり、倭国王の陵墓は円墳か前方後円墳である。  御廟野古墳は八角墳であり、百済王の古墳である。天智は百済王であり、御廟野古墳は天智(豊璋)の古…
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初代神武天皇から第30代天武天皇までの皇居のうち29天皇の皇居は鳥取県中部にあった。実在しない天皇は

1 初代神武天皇から第30代天武天皇までの天皇の皇居(実在しない天皇は除外しています)  初代神武天皇 畝火之白檮原宮 鳥取県倉吉市大宮。   第二代綏靖天皇 葛城高岡宮 鳥取県北栄町曲岡神社。   第三代安寧天皇 片塩浮穴宮 鳥取県湯梨浜町橋津観音堂。   第四代懿徳天皇 軽之境岡宮 鳥取県倉吉市小田。   第五代孝昭天皇 葛城…
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藤原四兄弟は新羅から来た疫病で亡くなった(737年)のではなく、新羅から来た刺客によって亡くなった

1  藤原四兄弟と舎人・新田部は奈良にいた長屋親王を死に追いやってから、倭の都(鳥取県中部)にいた穂積天皇の次の天皇(大君)を死に追いやっている(734年)。倭の都(鳥取県中部)と新羅とは、火火出見(山幸彦)が辰韓に行き(紀元前130年頃)、神武天皇が倭の都(鳥取県中部)で即位し(紀元前60年)、兄の稲飯命が新羅国を建国した(紀元前57…
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日本書紀・天智・天武・持統について

1  白村江の戦いの仕掛人  斉明天皇・7年5月・において「智興の供人の足島のために讒言され、使人らは唐の朝廷からお褒めの言葉を受けられなかった。使人らの怒りは上天の神に通じて、足島は雷にうたれて死んだ。時の人は『倭の天の報いは早いことだ』といった」とある。讒言したのは足島ではなく数百年交流が続いてきた鳥取県中部にあった倭朝廷である。…
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持統も大田皇女も百済滅亡の年(660年)に人質(采女)として鳥取県倉吉市に来ていた

 1 統一新羅の時代が終わり、高麗の時代になったので大陸の三国史記も改ざんされた。現三国史記は1145年に原三国史記を藤原氏が改ざんさせたものである。改ざん後原三国史記は焚書にした。  三国史記では豊璋の父は義慈王とするが、原三国史記では豊璋の父は武王であった。中大兄王子は百済王子の豊璋であり、631年に6歳で人質として鳥取県中部に来…
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三徳山と大御堂廃寺(泊瀬の斎宮)について

1  鎌倉時代末頃の成立と考えられる『金峯山草創記』には、「役行者の前世の姿である震旦国の好積仙人が、『仏法を開き行う所に落ちよ』と願い、三本の黄色い蓮華を投げたところ、伊予国石辻(石鎚山)、大和国弥勒長(金峯野山)、伯耆国三徳山に落ちたため、この三所は『仏法霊験の勝地』である」とある。 2  源頼朝は三徳山に剣を奉納している。 …
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三徳山(鳥取県三朝町)の開祖である役行者は泊瀬の斎宮(鳥取県倉吉市)で仏教・道教を会得した

1  鳥取県中部(倭国)の三徳山と泊瀬の斎宮  鴨一族(事代主をリーダーとする百八十神)は国譲り(紀元前160年頃)で磯城(東郷池周辺)に移っていたが神武4兄弟が居なくなって(紀元前70年頃)から、一部は出身地の葛城に帰っていた。役行者は葛城出身の鴨一族という。 2  三徳山(鳥取県三朝町)  三徳山の投入堂  …
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鳥取県倉吉市の大御堂廃寺(泊瀬の斎宮)では仏教だけでなく道教(神道)の修行もしていた

日本書紀・天武天皇即位の段に「2年夏4月14日、大来皇女を伊勢神宮の斎王にされるために、まず泊瀬の斎宮にお住まわせになった。ここはまず身を潔めて、次第に神に近づくためのところである。・・・。3年冬10月9日、大来皇女は泊瀬の斎宮から、伊勢神宮に移られた。」とある。泊瀬の斎宮とはどこのことであろうか。  泊瀬(長谷)とは雄略天皇の皇居の…
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天武天皇の皇居、倉吉市の賀茂神社に行ってきました

1  倉吉市の賀茂神社周辺の神社と遺跡  第8代孝元天皇は北栄町大島に伊邪那岐命・伊邪那美命を祀って、第9代開化天皇(倭建命)は征西が成功し伊邪那岐命・伊邪那美命に神助を謝した(宮崎神社由緒)のだが、倭国の天皇家は伊邪那岐命・伊邪那美命を祀っていた。 2  倉吉市の賀茂神社  左に行くと二階建ての立派な社務所がある。神…
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天武天皇の皇居は鳥取県倉吉市打吹山の賀茂神社にあった

   正倉院宝物に似た佐波理匙が出土した大御堂廃寺(7世紀中ごろ)は鳥取県内最古で最大の廃寺跡である。  大御堂廃寺は賀茂神社の神宮寺であった。賀茂神社には天武天皇の皇居があった。 1  倉吉市文化財調査報告書 第107集 史跡 大御堂廃寺跡発掘調査報告書(抜粋)  大御堂廃寺跡のことは、18世紀の中頃に著された地誌『伯耆民…
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天武天皇の后・妃・嬪・宮人について

1  「新しい日本の古代史」(AKIRA KATO)より (1)鎌足は、暗唱できるほどに中国の古い兵法書「六韜」(りくとう)を愛読していた(藤氏家伝)。  この「六韜」には例えば、  「寵姫がいたらもっと美しいライバルを送り込め、そうすれば 宮廷は二つに分かれて大変なことになるだろう」とある。これは「鎌足」が天武天皇に実行して…
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日本書紀36代の期間と41代の期間の倭国天皇は蘇我倉山田石川麻呂天皇と高市天皇であった

1  天武天皇は政略結婚を提案したのであろうか。  中大兄王子(豊璋)は第29代蘇我倉山田石川麻呂天皇を殺害してから(649年)倭国(鳥取県中部)には賊に暗殺されたと報告していた。天武天皇は649年に倉吉市葵町の賀茂皇大神宮を皇居とし、第30代倭国天皇として即位した。  天智と鎌足は倭国天皇の天武天皇に対し「六韜」に基づいて「寵姫が…
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中大兄王子は「豊璋」であり、藤原鎌足は「翹岐」である

 1 中大兄皇子=「翹岐」説、藤原鎌足=「豊璋」説について (1) 藤原鎌足=豊璋説は多い。関祐二氏はその根拠として、大織冠を賜ったのが、鎌足と豊璋だけであるからとする。「豊璋」は中大兄皇子である、とする方は少ない。中大兄皇子は豊璋に大織冠を授けているが自分で自分に褒美を授けるのはおかしいことや、中大兄皇子は日本書紀の第38代天智天皇…
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聖徳太子(蘇我入鹿天皇)の皇居は鳥取県北栄町由良宿にあった 2

 弥生時代から住んでいた住民は海面が下がるにつれて下に降り、現在の由良宿を造ったと思われる。 1 旧大栄町(現北栄町)の遺跡 2 高江神社遺跡発掘調査報告書より  まとめ  「弥生時代後期から古墳時代前期後半の竪穴住居跡17棟、掘立柱建物4棟を検出した」とある。  「奈良時代に入ると、東伯町…
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聖徳太子(蘇我入鹿天皇)の皇居は鳥取県北栄町由良宿にあった

  1 皇居と産屋の距離 (1) (瓊々杵命)鳥取県北栄町下種集落 大宮神社 (2) (木花之佐久夜毘売)鳥取県北栄町由良宿 高江神社     (1)~(2)の間は4.1km (3) (神武天皇)鳥取県倉吉市大宮集落 (4) (媛蹈鞴五十鈴媛命)鳥取県倉吉市耳集落     (3)~(4)の間は3.7km (5) (蘇…
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元興寺縁起にある「等由良(豊浦)」の「由良」とはどこのことか

 1 由良の地名で有名なのは、和歌山県日高郡、京都府宮津市、兵庫県洲本市である。 (1) 和歌山県日高郡の由良  その幻想的な風景は万葉集に読まれており、歌碑も設置されている。 妹がため玉を拾ふと紀伊の国の 湯羅(ゆら)の岬にこの日暮しつ 朝開き漕ぎ出て我は湯羅(ゆら)の崎 釣する海人を見て帰り来む 湯羅(ゆら)の崎潮干にけら…
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「聖徳太子=蘇我善徳=蘇我入鹿」説について

「聖徳太子=蘇我善徳=蘇我入鹿」説について  藤原氏は嘘を積み重ねれば本当になるとした。偶然も積み重ねると真実が見えてくる。藤原氏は記紀だけでなくほかの文献や遺跡や神社も嘘を積み重ねていった。それは百や千どころではない。万の嘘だと思われる。記紀を世に発表するまで数百年にわたって嘘を作ってきた。 「聖徳太子は蘇我入鹿である」(関裕二)を…
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遣隋使について

遣隋使について 1 隋書倭国伝(東亜古代史研究所 塚田敬章より)  (1)倭國、在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居。 「倭国は、百済や新羅の東南に在り、水陸を越えること三千里、大海中の山島に依って居する。」 (2)毎至正月一日必射戯飲酒 其餘節略與華同 好棊博握槊樗蒲之戯 氣候温暖草木冬靑 土地膏腴水多陸少 …
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蘇我馬子天皇(在位572年~626年)の磐余池辺雙槻宮は鳥取県北栄町島にあった(2)

1  米里集落の小字  米里集落の小字は以下のようである。  左上から一の崎、大町、三の崎、姥ヶ谷、亀崎、右の大谷、船渡。  明治時代、亀崎の西丘陵から弥生前期の銅鐸が発掘されている。亀崎の西丘陵に準王一族(出雲神族)がいた。  一の崎に住んでいた王は、履中天皇である。  履中天皇は倭の五王の讃である。讃は百済王16代と1…
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蘇我馬子天皇(在位572年~626年)の磐余池辺雙槻宮は鳥取県北栄町島にあった 1

1  日本書紀は亡命百済人によって百済王家の歴史を残すために作られた歴史書である。その際、乗っ取った倭王朝の歴史書である原古事記を利用した。  蘇我馬子天皇は、敏達、用明、崇峻、推古の百済王朝4代の間の倭王朝の実在の天皇であった。用明の皇居と崇峻の諱は蘇我馬子天皇の帝紀として原古事記に書いてあったものを、日本書紀に転用したものである。…
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奈良は崇神天皇(157年~258年)の時より祭祀をする場所として始まった

1  桃太郎(倭建・吉備武彦)と卑弥呼(倭姫)のヤマト王権は西は九州から東は岩手県まで平定したが、準王一族の生贄を伴う祭祀を、徐福がもたらした道教に改宗させた。卑弥呼は巡行の先々で神社を創っていった。しかしそのときだけで改宗できるはずがない。ヤマト王権は時に触れて全国の代表者を集めて道教の祭祀をしなければならなかった。その場所が奈良であ…
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鳥取県湯梨浜町「引地」は本田善光が一光三尊阿弥陀如来を引き上げた地である

1  難波の堀江とはどこか  日本書紀・欽明天皇・仏教公伝において「天皇はいわれた。『それでは願人の稲目宿禰に授けて、試しに礼拝させてみよう』と。・・・。小懇田の家に安置し、寧ごろに仏堂を修めるよすがとした。向原の家を清めて寺とした。後に国に疫病がはやり、人民に若死にする者が多かった。物部大連尾興・中臣連鎌子は共に奏して、・・・仏を早…
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蘇我氏三代は倭国(鳥取県中部)に皇居があった正統な天皇である

1  蘇我馬子の皇居は鳥取県北栄町島にあった。島の皇居の後ろには後宮があってもおかしくない曲集落の地域がある。 元興寺伽藍縁起では等由良宮(豊浦宮)の字が3回使われている。豊浦宮の元の字は等由良宮であった。旧事本紀によると「AD580年 物部鎌姫大刀自連公、宗我嶋大臣(蘇我馬子)の妻と為りて豊浦(等由良)大臣を生む。名を入鹿連…
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蘇我稲目天皇は鳥取県中部(伯耆国)を活動拠点としていた

1  日本書紀・欽明・秦大津父において「秋七月十四日、都を倭国の磯城郡の磯城島に遷した。名付けて、磯城島金刺宮といった。」とある。古事記では「師木島の大宮」である。  日本書紀・欽明・仏教公伝において「蘇我稲目大臣(王)は小墾田の家に仏像を安置し、ねんごろに仏道を修めるよすがとした。向原の家を清めて寺とした。後に国に疫病がはやり、人民…
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535年から乙巳の変までの110年の間の倭国天皇は蘇我氏三代であった

1  宣化・欽明・敏達・用明・崇峻・推古・舒明・皇極は倭国の実在した天皇ではない。この間、蘇我氏は四人とも大臣とされているが、三人は天皇であった。535年から110年の間、蘇我氏三代が天皇であった。原古事記には正式な天皇の名前として書いてあったはずである。藤原氏は倭国の乗っ取りを完全なものにするため、蘇我氏が天皇であった期間に百済の正当…
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