テーマ:天孫降臨

鳥取県は東アジアからの移民を受け入れる玄関口であった。列島の王もここに居た。

 鳥取県は東アジアからの移民を受け入れる玄関口であった。列島の王もここに居た。  邇邇芸命の「この地は 韓国に向きて、笠沙の御前を真来通りて  朝日の直刺す国 夕日の日照る国なり」について 1 「韓国に向きて」とは 「韓国」とは朝鮮半島にある韓国(新羅)のことである。 韓国(新羅)から人力船で出港すると海流(リマン海流と対馬海流)に…
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天孫降臨は2回に分けて行われた。1回目の饒速日命と天照大御神と月読命ほか大勢の降臨

 天孫降臨は2回行われた。最初は饒速日・天照大神・月読命ほか大勢であった。  1 鳥取県江府町鏡ヶ成から降臨したのは瓊々杵か饒速日か。 高天原は蒜山高原であった。饒速日は江府町江尾神社の祭神であり、瓊々杵は長田神社と加茂神社の祭神になっている。 鏡ヶ成は猿田彦が鏡を光らせていたところであり、天鈿女がその理由を聞きに訪れたところである。…
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倉吉市の大原神社が石上神宮(倉)であり湯梨浜町長瀬高が出雲大社のあった多芸志(タギシ)の浜であった

 倉吉市の大原神社が石上神宮(倉)であり湯梨浜町長瀬高浜が出雲大社のあった多芸志(タギシ)の浜であった 。 1 国土交通省のホームページ「暴れ川とのたたかい」より 天文13年(1544)に起こった「天文の水」と呼ばれる洪水では、小鴨川が天神川に合流するあたりで栄えていた見日千軒を押し流し、下流の北条平野を泥沼に変えてしまいました…
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田植えがすんだ葦原中津国

 田植えのすんだ葦原中津国  由良川の周辺に生えているのは葦。右上は大山(蓬莱山)と烏ヶ山(方丈山)。左側に瀛州山の上蒜山、中蒜山、下蒜山。東に中国山脈が連なる。稗田阿礼はこれを見て高千穂と表現した。7世紀のことである。  田植えのすんだ葦原中津国  左上に見えるのが火火出見命が宮とし神武天皇の四兄弟が住んでいた四王寺…
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事代主の終焉の地

1  ワタラガヒ(お旅所)  事代主が船で到着したワタラガヒ(お旅所)は神社の800m離れた空き地であり、祭りはそこからスタートする、と地元の方は言われる。しかし、地元の歴史家は「灯篭のあるところ」と言われる。神社から200mの距離である。いずれにしても事代主は美保関(海中)から、北栄町の亀谷(神のクシフルネ)に帰り、船を…
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「クシフルタケ」とは本来「クシフルネ」であって、亀谷丘陵全体をさす言葉であり、先端は船着場になってい

 「クシフルタケ」とは本来「クシフルネ」であって、亀谷丘陵全体をさす言葉であり、先端は船着場になっていた。亀谷丘陵の横には由良川が流れている。  クシフルとはアイヌ語で、川などの向こうをクシと言い、丘をフルというから、向こう(クシ)・丘(フル)である。問題は古事記に書かれている、クシフルタケのほうだ。久土布流多気とあるが、これは明…
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美保神社で行われている諸手船神事

  大国主が事代主に国譲りの伝令を送ったときの神事。宮崎県から鯛釣りに来ていたのだろうか。鳥取県中西部から鯛を釣ろうと思えば今でも島根半島へ行く。  対岸にはおいしい水の出る、大山が見える。この大山が屏風の役割をして、鳥取県中西部は台風被害が少ない。 1 美保神社の由緒   事代主は海中に青柴垣をお作りになり、天逆手を拍って…
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笠砂の御前 3

1  茶臼山(伊那佐山=宇迦能山=大神山)には大国主がいた。茶臼山(伊那佐山=宇迦能山=大神山)の西には三輪山があり、三輪山には天忍穂耳がいた。笠砂の御前の左下が葦原中津国であり、瓊々杵命が日当たりの良さを言ってから「日向」と呼ばれるようになった。日向の御子とは、瓊々杵命のことであり、日向の御子の父とは天忍穂耳のことである。三輪…
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天照大御神が譲れといった葦原中津国は鳥取県北栄町にあった

1  宮崎県高千穂町の天照大御神像 上は宮崎県高千穂町天岩戸神社前にある天照大御神像。下は徐福像。  集団のリーダーは徐福がふさわしい。徐福は平原(伊勢野)広沢(葦原中津国)を得て始皇帝に言われたとおり王(天照王)となった。  「古代史に徐福を出すのはとんでも説である」という方がおられるが、その方は日本書紀の泥沼にどっ…
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天孫降臨に関係する鳥取県中部の神社の祭神

 神社名と住所は鳥取県神社誌(昭和9年刊)に基づいています。合併(大正時代)までの神社も挙げています。 1 第1次(紀元前185年頃)の降臨(1)饒速日命 神田神社(南谷村泰久寺) 日吉神社(矢送村関金)ー祭神は瓊瓊杵尊にしてあるが、本来は饒速日である。(2)經津主神 倭文神社(北谷村志津)井手畑神社(上北条村井手畑)(3)建御雷神(…
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葦原中津国の平定

 紀元前200年頃は海面が今より4m高かった。  周辺が葦原になっていた。木花佐久耶姫(亀谷神社)と天児屋根命(穂波神社)がこの地の西と東をおさえた状態になっている。これが平定の状態と思われる。  現在、大島を中心としたこの地は一帯が稲作地帯であり、中心には大きなライスセンターがある。  事代主はこの地を支配していたのであ…
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猿田彦は鳥取県中部に土着の縄文人であり、徐福集団(天孫族)に協力していた

1 蜘ヶ家山と土下山周辺の猿田彦を祀る神社(6社)。合併(大正時代)前の神社も含む。  金刀比羅神社(由良町由良宿)、松神神社(下北条村松神)、田村神社(下北条村島)、三輪神社(下北条村土下)、船内神社(上北条村下古川)、山根神社(西郷村山根)  猿田彦一族の本拠地は田村神社(下北条村島)のあたりである。饒速日命を鏡ヶ成に迎えに…
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猿田彦について

 猿田彦について<古事記訳> 「さてヒコホノ二二ギノ命が、天降りなさろうとするときに、天から降る道の辻にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしている神がいた。そこで、天照大御神と高木神の仰せによって、アメノウズメノ神に命じて「あなたはか弱い女であるが、向き合った神に対して、気おくれせず圧倒できる神である。だから、あな…
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鳥取県関金町になぜ瓊々杵命の伝承が全く残っていないのか

 瓊々杵命は矢送神社を出てからは日吉神社(関金町)に短期間、楯縫神社(上福田)にもしばらくいて、葦原中津国(大宮神社)に移ったのだが、なぜ関金町に伝承が残っていないのか。  藤原氏は伝承を伝える者をことごとく殺していった。  関金町にある地蔵院は真言宗の寺であるが、創建は756年で奈良時代である。創建当初は真言宗ではなかった、と寺の…
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鳥取県関金町の矢送神社と耳に行ってきました

1矢送神社  矢送神社の祭神は 天津彦火瓊瓊杵尊、天児屋根命、天太玉命、素盞鳴尊です。 石段は130段あり、急峻な場所にあるため、幼少の瓊瓊杵尊を守るには良い場所である。  しかし南と東と西により高い尾根があるため、日照時間は短い。 2「耳」集落  耳と名に付く天孫族は天忍穂耳と神武天皇の子である神…
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高天原=蒜山、天孫降臨地=伯耆国説

佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty氏の高天原=蒜山説 古事記・日本書紀の高天原は岡山県真庭市の蒜山である、とする。 田村誠一氏、vetty氏の天孫降臨地=伯耆国説 瓊々杵命は蒜山から鳥取県北栄町の高千穂(大宮神社)に降臨した、とする。 1  宮崎県の高千穂を訪れた人は疑問に思われるそうである。出雲の地で国を譲りましょうと…
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