テーマ:黄泉比良坂

伊邪那岐が禊をした「阿波岐原」とはどこか

 古事記口語訳 1 「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」は北栄町原集落である。  黄泉平坂は不入岡(イザ原遺跡)から始まる。伊邪那岐と伊邪那美は三貴神を迎えるために葦原中つ国を整備していた。孝元天皇と倭健命は大島で伊邪那岐と伊邪那美を祀った。伊邪那岐と伊邪那美は大島にいたはずである。天照大御神は灘手神社にいた。素戔嗚命は谷の朝…
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黄泉平坂は鳥取県道23号線であることは遺跡分布より明らかである

   鳥取県は奈良県とどちらが多いかと言われるほど遺跡が多い。その中でも鳥取県中部は遺跡の密集地である。分布図を載せますのでご覧になってください。島古墳群は39である。線で囲んであるのは古墳群である。右の向山古墳群で500以上の古墳がある。 1  クズマ遺跡第2次発掘調査報告書より 蜘ヶ家山と四王寺山に挟まれた上神地…
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黄泉比良坂について『古事記』は、その場所を「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)という」と書いているが  

黄泉比良坂について『古事記』は、その場所を「出雲国の伊賦夜坂(いふやさか)という」と書いているが  この文章はのちに付け加えられているという説がある。藤原氏がのちに付け加えた可能性が高い。  根堅洲国は倉吉、葦原中津国は北栄町大島の周辺であることが明らかになったので、黄泉比良坂は倉吉と北栄町の間になければならない。  それは県道1…
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「その謂はゆる黄泉比良坂は、今、出雲国の伊賦夜坂と謂ふ」について

 これは、太安万侶の書きかたと全く違っています。後の世の人が挿入した文章です。(田村誠一氏)  理由は以下の通りです。  稗田阿礼は、その土地の状況を口述しましたから、地名の無いところでは、その地名の状況を本文の中に、書き込んでいます。  例えば、その1例が古事記に書かれている次の部分です。伊邪那伎が黄泉の国から逃げ帰ったとき…
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